2月15日 バレンシア
寒く、惨めな氷雨の降る中を、ポート・アメリカズカップの水面の中にショートコースを作って、どこかのチームがワンデザイン12を使ってマッチレースの練習をしている。若手のトレーニングなのだろうか、ずいぶん下手くそだ。
14日、アメリカズカップの第2レースで見たことを整理してみる。
その前に、まずは12日の第1レースが終わった後での、記者会見の後でのことから。
アリンギのベルタレッリは、「気象予報チームが予想したよりも風が強く、艇のセットアップに失敗した」と記者会見で語った。
ウェブサイトの「セーリングアナーキー」関係者が、「今日見た限りでは10%ほど〈アリンギ5〉が遅いことがはっきりしたようだが……」とロルフ・ヴローリックに質問したとき、ベルタレッリはその質問を奪い取り、答えているうちに激昂してきて、壇上から降りて、ぼくの隣に座っているその質問者の胸ぐらを掴みに来るのではないか、と半ば心配になったほどだ。
ベルタレッリは、セッティングのミスばかりを強調した。
その記者会見からの帰り道、アリンギの気象チームのボスのジョン・ビルジャーとすれ違った。ジョンは、がっくりと肩を落とし、ソシエテドノティークジュネーブのバレンシアにおける仮設本部に向かっているところだったが、こちらから声をかけないと気がつかないくらい深刻な顔をしていた。
ジョンとぼくは同じ時期にノースセール・ニュージーランドにおり、トム・シュネッケンバーグからセール・デザインを学んでいた。ぼくは日本から派遣され、ジョンはノースセールオーストラリアのボスのグラント・シマー(現アリンギのデザイン・コーディネーター)の命令で勉強に来ていた。元々はオーストラリア期待の470セーラーだったジョンとはそれ以来の仲だ。
急いでいるようだったので、「明後日は風の予報を当てろよ」なんて軽口だけで別れようとしたら、「いや、今日も予想は当てたんだぞ」と、ジョンはちょっとむきになって話し始めた。
詳しく聞いてみると、アリンギにとってこの日の風は完全に想定内だったようだ。
ベルタレッリは、メディアに嘘をついたんだな。それで、記者会見席の横でロルフ・ヴローリックがモゴモゴ口を動かしていて困ったような顔をしていた理由が呑み込めた。
そして、昨日14日。
〈アリンギ5〉のクルーたちはうたた寝していたらしく、アテンションシグナル(10分前)のときにはスタートラインのずっと左側にいて、スタートラインの下側を本部船の方法へあわてて戻るも5分前に間に合わず、「準備信号掲揚時(5分前)には、エントリーマークの外側(スターボエントリー艇は本部船の右外、ポートエントリー艇はポートエントリーマークの左外)にいなければならない」という、セーリングインストラクションだったかノティスオブレースだったかに、自分たちでわざわざ強調して追加した一文に引っかかり、ペナルティを科せられた。
もう、そこからスタートはグチャグチャ。
〈USA〉が見事なタイム・ディスタンスの感覚でいいスタートを見せたから少し救われたものの、〈アリンギ5〉は、「アメリカズカップってすごいらしい」と純真な興味を持ってくれている新しいセーリングファンには見せたくないような、スットコドッコイのスタートだった。
しかし、上りで右に行った〈アリンギ5〉は、見事なスタートのまま左に伸ばした〈USA〉よりも強いパフとシフトをもらって、スタートの失敗を取り戻しただけでなく、リードも奪う。そのリードをしっかりとした形にするために〈アリンギ5〉はスターボードへタックしたが、この日のスターボードタックは、東から押し寄せる大きなうねりに向かってセーリングすることになり、両艇とも大きくピッチングしながらのクローズホールドとなる。こうなると〈アリンギ5〉のステアリングはレマン湖チャンピオン(ベルタレッリ)の手に余るようになり、ルック・ペイロンにステアリングを託す。
それでも〈アリンギ5〉のピッチングは〈USA〉よりもかなりひどいように見えた。うねりの中を走ることは元々考えてなかった、湖用のデザインなのじゃないだろうか?
このスターボードタックのときに〈アリンギ5〉が揚げた抗議旗は、スタートプロシージャーの規則に違反して5分前の時点で本部船の左側にいたのは、観戦艇が邪魔になって戻れなかったから、とコース・マーシャル(これも自分たちの子飼い)の職務怠慢のせいにした救済の要求をしてペナルティをチャラにしようと思ってのことだったらしい。
しかし、その後上マーク手前のオタオタで〈USA〉抜かれ、その後もどんどん差を広げられ、ペナルティに関係なく着順で負けたんじゃ、救済の要求の意味もなかろう、ということになって、フィニッシュ時に抗議を取り下げたようだ。
で、ペナルティターンもしてないので、厳密にはDNFのはずだけど、記録は5分26秒差のフィニッシュになっているが、ま、どうでもいいか。
リーチングのレグに入ってからの〈USA〉は本当に速かった。
レース後に、〈アリンギ〉のブラッド・バタワースが、「飛行機にヨットは敵わない」みたいなことを言っていたが、ホント、〈USA〉はヨットではなかった。ダガーボードへの揚力を液体からもらうためだけの目的で、船体の一部を海水に浸けて飛ぶ飛行物体だ。
そして、アメリカズカップは15年ぶりにアメリカに戻ったわけだ。
そして、アメリカからアメリカズカップを奪ったのも、アメリカにアメリカスカップを戻したのも、ニュージーランド人のラッセル・クーツということになる。ついでに言えば、ニュージーランドにアメリカズカップをもたらせたのも、ニュージーランドからアメリカズカップを奪ったのも、ラッセル・クーツだということになる。
別の言い方をすれば、ラッセル・クーツが行くところにアメリカズカップが行く、ということにもなりますね。
アメリカズカップを私物化しようとしたベルタレッリが敗退し、チャレンジャーみんなが望む形の第34回アメリカズカップを実現する、と明言するラリー・エリソンとラッセル・クーツが勝ったことで、これから先、最初から1対1の『贈与証書マッチ』形態のアメリカカップは、私が生きているうちにはもう観ることができないだろうと思う。
もうちょっと接戦のレースを楽しみたかった、とも思うが、でも、とてもいい思い出になった。もう少しここに残って、関係者にも会って話を聞いて、見落としたものがないか再確認してから、帰ることにしようと思う。
話は変わるが、マスカルゾーネラティーノのボス、ヴィンチェント・オノラトを、BMWオラクルのベースキャンプでよく見かける。
オノラトは他の挑戦者たちが一時期アリンギになびいたときも、頑としてアリンギを許さず、BMWオラクルと常に同じ側に立つことを貫いた。
ラッセル・クーツのことも信頼し、RC44クラスの初期のミーティングなどでサルディニアのポルトチェルボのコスタスメラルダヨットクラブの隣にある素晴らしい別荘を関係者に開放してくれたりもした。
マスカルゾーネの所属するヨットクラブが次回のチャレンジャー代表になっても、不思議はないかもしれない。
また、ルイヴィトンのブルーノ・テューブレは、BMWオラクルのクルーたちが出港するときには常に見送っていたし、昨日の勝利の後は本気で踊って喜んでいた。ルイヴィトンカップが、アメリカズカップの予選レースとして復活することも現実的なことのように思える。
2月16日 バレンシア
昨日夕方、BMWオラクルレーシングのコンパウンドで、次回第34回アメリカスカップのチャレンジャー代表に決定したヨットクラブが、ラッセル・クーツの口から発表された。
第34回アメリカズカップのチャレンジャーオブレコード(挑戦者代表)は、クルブノティコディローマ。
クルブノティコディローマが送り込むチームはヴィンチェント・オノラト率いるマスカルゾーネラティーノ。
昨日のレポートで書いた予想が当たって、なんとなく嬉しい。
そのBMWオラクルレーシングでの記者発表に続いて、今やアメリカスカップ保有ヨットクラブになった、ゴールデンゲイト・ヨットクラブも、クルブノティコディローマを挑戦者代表として受け入れ、今後2者で話し合いながら第34回アメリカスカップの詳細を決めていくことを発表した。
これでひとまず、ブログは終了です。今回の詳細レポートはKAZIとTarzanに書く予定。是非、お読みください。(おわり。レポート/西村一広 http://www.compass-course.com)