本レース、「花の大島レース」と称されるほど外洋レーサーに愛されている長距離レースです。今回、第60回大会を迎えましたが、その歴史を少し紐解きましょう。
1951年に第1回大会が開催され、コースは今回と同じ葉山~初島~大島~葉山。葉山港にアンカリングしていた参加艇が、レーティングに応じて時間差をつけてアンカーを揚げ、スタートするというもの。15艇がエントリして6艇が完走したという。
第1回からしばらくは、米国人を中心とした外国人が所有する船がエントリーの半数以上を占め、日本人が所有するのは20~25フィートのJOG(ジュニア・オフショア・グループ)と呼ばれるカテゴリーに属する船だった。次第に参加艇が増え、11回~20回は20艇以上、21回以降は40艇以上、第25回は70艇が参加したという。ちなみに、このときの優勝艇は現JSAF会長の山崎達光氏の<サンバード二世>だった。しかし、時代の流れとともに参加艇は減り、1桁台しか参加艇のないレースがしばらくつづいた。
沿岸で行われるブイ回りレースとは異なり外洋レースの面白さは天候、潮流、風、クルーの錬度、艇のポテンシャルなどがすべてかかわり、自然との闘い、自己との戦い、ライバルとの闘いがすべてであることだ。とくに本レースの開催される入梅前の相模湾、伊豆諸島北部の天候は変わりやすく、複雑な潮流、島の影響による風などが絡み合い、それだけに優勝艇も毎回のごとくに変わって面白みを増しており、「花の大島レース」と言われる所以となっている。(レース委員長の田中一美氏の著作より抜粋)
さて、その記念すべき第60回大会は23日に終了し、IRCクラスの優勝は<KARASU>、ORCCクラスの優勝は<TICTAC>となりました。余談ではありますが、<CONTESSA XIII>には石原慎太郎氏が乗艇され、記念レースを楽しんでおられたようです。
第60回大島レースの詳細 http://blog.goo.ne.jp/oshima-rc/