ボートショー、3月4日、横浜で開幕。
抽選で20名に招待券を差し上げます!

2010年2月24日

昨年のボートショーの様子

今年も神奈川県・横浜(パシフィコ横浜)で3月4日~7日にかけて「ジャパンインターナショナルボートショー」が開催されます。

JSAFはマリンパラダイスコーナー付近にブースを出展し、JSAFグッズの販売、活動内容の紹介、環境ポスターの展示、各種お問い合わせの対応を行う予定です。

ボートショーの会場が横浜に移って今年で4回目。横浜の海を前にしてのボートショーは春の楽しみのひとつですが、今年はタレント間寛平さんのアースマラソンに使用されているヨット〈エオラス〉号の特別展示、青春ヨットムービー「海の金魚」に関する特別ステージ、ヨットコーナー、フローティング展示会場の設置などが企画されています。開催概要は下記のとおり。

■開催概要
会期:2010 年3 月4 日(木)、5 日(金)、6 日(土)、7日(日)
会場:パシフィコ横浜(展示ホールB・C・D)、フローティング展示会場
臨海パーク(海上イベント)、ぷかりさん橋(見学・体験乗船)、中古艇展示会場
開館時間:10時~18時(フローティング展示会場は毎日17 時閉場)
※3 月4 日は11 時45 分開会式、12 時から一般開場
※3 月7 日は17 時閉館
入場料:一般(高校生以上)1,000 円(中学生以下は無料)
公式ホームページ:http://www.marine-jbia.or.jp/boatshow2010/

なお、抽選で20名さまにボートショーの無料招待券をプレゼントしたします。ご希望の方は郵便番号、住所、氏名、JSAFメンバーの登録番号を明記の上、boat-show-2010@jsaf.or.jp宛てに、2月27日24時までにメールでご応募ください。なお、当選者の発表は招待券の発送をもってかえさせていただきます。

J-SAILING81号が完成しました

2010年2月23日

 

J-SAILING81号が完成しました。

今号の表紙は上の写真にあるように、青春ヨットムービー「海の金魚」から切り取ったフォトモンタージュです。今までにはない、ちょっと変わった表紙になっています。

この映画については本号の5ページで紹介していますが、JSAFはこの映画を後援し、シナリオ段階でのアドバイスに加えて、広報面での協力をしました。まずはヨット界の人々に観てもらい、その口コミでさらにヨットに縁のない一般の方々にも観てもらえれば、セーリングの普及に役立つかもしれないと考えたからです。

本号ではこのほか、水域紹介シリーズで和歌山県を紹介しています。和歌山県連の中村和哉さんにご協力をいただき、同県のセーリングスポットを誌上で案内してもらいました。

さらに、「JSAF海の絵画コンテスト2009」の受賞作品の紹介、国際14フッターワールドに参加した柳澤康信さんの同クラスの紹介、医事科学委員会の「知っておきたいセーリングのための医科学知識」、さらに手続きが簡単になったことを受けて普及する兆しのある国際VHFついての記事もあります。また、オリンピック特別委員会からの「ロンドン五輪をめざすナショナルチームのご支援のお願い」も掲載しています。ご協力をお願いいたします。

J-SAILINGは年に6回、JSAFメンバーに直接届きます。お届け先はメンバー登録時に記載された住所になりますので、住所変更などがあった場合は所属の各団体へご連絡ください。もしJ-SAILINGが届いていないなら、正しい住所が登録されていない可能性があります。登録手続きに関する詳細は下記URLにあるそれぞれの加盟団体へお問い合わせください。http://www.jsaf.or.jp/dantai/

 

 

 

ヨット小説「風の靴」。もう読みましたか?

2010年2月19日

  12歳の少年が親友とその妹、そして愛犬を伴って夏休みに家出を敢行。その移動手段となったのが木製のA級ディンギーであり、目的地に着いてからはセーリングクルーザーで黒潮を目指す、というセーラーなら誰でも読みたくなるような小説「風の靴」が2009年に刊行されました。

 出版からすでに1年ほど経っているのですが、遅ればせながら、つい最近その本を読みました。

 「風の靴」の意は、表紙カバーの見返しに書かれているので種明かしをしても許されるでしょうから書いてしまいますが、亡くなったおじいちゃんがセーリングする姿を見て、主人公が「おじいちゃんが風に靴を履かせる」と形容したことに由来します。そのおじいちゃんはとても魅力的なオールドソルト。「自分のからだが透明になって、船とひとつになって、駆けていくんだ。」とセーリングを表現するような人です。
 

「風の靴」。講談社刊・朽木祥著・本体定価1600円

 おじいさんの指示に従って探す秘密の入り江、そこに埋められている秘密の箱、セーリングの途中で救助した謎の男などなど、海の物語に必要な要素がふんだんに盛り込まれている小説です。

   児童文学の体裁をとっていますが、筆者自身がセーラーなので、セーリングに関する表記は本格的です。そして、表紙の装画は柏村勲さん。JSAF海の絵画コンテストで審査をお願いしたセーリングをこよなく愛する画伯のきらめくような海の1シーンが同書を飾ります。

 JSAFメンバーの皆さん、是非、ご一読を。

アメリカズカップ・スペシャル・レポート12(最終回)

2010年2月16日

あらゆるスポーツの優勝カップの中で、世界で最も古い優勝カップ、America's Cupを、〈USA〉に乗り組んだ10名のクルーが囲む。このカップは、2月20日の金曜日にバレンシアを離れて、サンフランシスコに凱旋する(photo by Kazu Nishimura)

2月15日 バレンシア

寒く、惨めな氷雨の降る中を、ポート・アメリカズカップの水面の中にショートコースを作って、どこかのチームがワンデザイン12を使ってマッチレースの練習をしている。若手のトレーニングなのだろうか、ずいぶん下手くそだ。

14日、アメリカズカップの第2レースで見たことを整理してみる。

その前に、まずは12日の第1レースが終わった後での、記者会見の後でのことから。

アリンギのベルタレッリは、「気象予報チームが予想したよりも風が強く、艇のセットアップに失敗した」と記者会見で語った。

ウェブサイトの「セーリングアナーキー」関係者が、「今日見た限りでは10%ほど〈アリンギ5〉が遅いことがはっきりしたようだが……」とロルフ・ヴローリックに質問したとき、ベルタレッリはその質問を奪い取り、答えているうちに激昂してきて、壇上から降りて、ぼくの隣に座っているその質問者の胸ぐらを掴みに来るのではないか、と半ば心配になったほどだ。

ベルタレッリは、セッティングのミスばかりを強調した。

その記者会見からの帰り道、アリンギの気象チームのボスのジョン・ビルジャーとすれ違った。ジョンは、がっくりと肩を落とし、ソシエテドノティークジュネーブのバレンシアにおける仮設本部に向かっているところだったが、こちらから声をかけないと気がつかないくらい深刻な顔をしていた。

ジョンとぼくは同じ時期にノースセール・ニュージーランドにおり、トム・シュネッケンバーグからセール・デザインを学んでいた。ぼくは日本から派遣され、ジョンはノースセールオーストラリアのボスのグラント・シマー(現アリンギのデザイン・コーディネーター)の命令で勉強に来ていた。元々はオーストラリア期待の470セーラーだったジョンとはそれ以来の仲だ。

急いでいるようだったので、「明後日は風の予報を当てろよ」なんて軽口だけで別れようとしたら、「いや、今日も予想は当てたんだぞ」と、ジョンはちょっとむきになって話し始めた。

詳しく聞いてみると、アリンギにとってこの日の風は完全に想定内だったようだ。

ベルタレッリは、メディアに嘘をついたんだな。それで、記者会見席の横でロルフ・ヴローリックがモゴモゴ口を動かしていて困ったような顔をしていた理由が呑み込めた。

そして、昨日14日。

〈アリンギ5〉のクルーたちはうたた寝していたらしく、アテンションシグナル(10分前)のときにはスタートラインのずっと左側にいて、スタートラインの下側を本部船の方法へあわてて戻るも5分前に間に合わず、「準備信号掲揚時(5分前)には、エントリーマークの外側(スターボエントリー艇は本部船の右外、ポートエントリー艇はポートエントリーマークの左外)にいなければならない」という、セーリングインストラクションだったかノティスオブレースだったかに、自分たちでわざわざ強調して追加した一文に引っかかり、ペナルティを科せられた。

もう、そこからスタートはグチャグチャ。

〈USA〉が見事なタイム・ディスタンスの感覚でいいスタートを見せたから少し救われたものの、〈アリンギ5〉は、「アメリカズカップってすごいらしい」と純真な興味を持ってくれている新しいセーリングファンには見せたくないような、スットコドッコイのスタートだった。

しかし、上りで右に行った〈アリンギ5〉は、見事なスタートのまま左に伸ばした〈USA〉よりも強いパフとシフトをもらって、スタートの失敗を取り戻しただけでなく、リードも奪う。そのリードをしっかりとした形にするために〈アリンギ5〉はスターボードへタックしたが、この日のスターボードタックは、東から押し寄せる大きなうねりに向かってセーリングすることになり、両艇とも大きくピッチングしながらのクローズホールドとなる。こうなると〈アリンギ5〉のステアリングはレマン湖チャンピオン(ベルタレッリ)の手に余るようになり、ルック・ペイロンにステアリングを託す。

それでも〈アリンギ5〉のピッチングは〈USA〉よりもかなりひどいように見えた。うねりの中を走ることは元々考えてなかった、湖用のデザインなのじゃないだろうか?

このスターボードタックのときに〈アリンギ5〉が揚げた抗議旗は、スタートプロシージャーの規則に違反して5分前の時点で本部船の左側にいたのは、観戦艇が邪魔になって戻れなかったから、とコース・マーシャル(これも自分たちの子飼い)の職務怠慢のせいにした救済の要求をしてペナルティをチャラにしようと思ってのことだったらしい。

しかし、その後上マーク手前のオタオタで〈USA〉抜かれ、その後もどんどん差を広げられ、ペナルティに関係なく着順で負けたんじゃ、救済の要求の意味もなかろう、ということになって、フィニッシュ時に抗議を取り下げたようだ。

で、ペナルティターンもしてないので、厳密にはDNFのはずだけど、記録は5分26秒差のフィニッシュになっているが、ま、どうでもいいか。

リーチングのレグに入ってからの〈USA〉は本当に速かった。

レース後に、〈アリンギ〉のブラッド・バタワースが、「飛行機にヨットは敵わない」みたいなことを言っていたが、ホント、〈USA〉はヨットではなかった。ダガーボードへの揚力を液体からもらうためだけの目的で、船体の一部を海水に浸けて飛ぶ飛行物体だ。

そして、アメリカズカップは15年ぶりにアメリカに戻ったわけだ。

そして、アメリカからアメリカズカップを奪ったのも、アメリカにアメリカスカップを戻したのも、ニュージーランド人のラッセル・クーツということになる。ついでに言えば、ニュージーランドにアメリカズカップをもたらせたのも、ニュージーランドからアメリカズカップを奪ったのも、ラッセル・クーツだということになる。

別の言い方をすれば、ラッセル・クーツが行くところにアメリカズカップが行く、ということにもなりますね。

アメリカズカップを私物化しようとしたベルタレッリが敗退し、チャレンジャーみんなが望む形の第34回アメリカズカップを実現する、と明言するラリー・エリソンとラッセル・クーツが勝ったことで、これから先、最初から1対1の『贈与証書マッチ』形態のアメリカカップは、私が生きているうちにはもう観ることができないだろうと思う。

もうちょっと接戦のレースを楽しみたかった、とも思うが、でも、とてもいい思い出になった。もう少しここに残って、関係者にも会って話を聞いて、見落としたものがないか再確認してから、帰ることにしようと思う。

話は変わるが、マスカルゾーネラティーノのボス、ヴィンチェント・オノラトを、BMWオラクルのベースキャンプでよく見かける。

オノラトは他の挑戦者たちが一時期アリンギになびいたときも、頑としてアリンギを許さず、BMWオラクルと常に同じ側に立つことを貫いた。

ラッセル・クーツのことも信頼し、RC44クラスの初期のミーティングなどでサルディニアのポルトチェルボのコスタスメラルダヨットクラブの隣にある素晴らしい別荘を関係者に開放してくれたりもした。

マスカルゾーネの所属するヨットクラブが次回のチャレンジャー代表になっても、不思議はないかもしれない。

また、ルイヴィトンのブルーノ・テューブレは、BMWオラクルのクルーたちが出港するときには常に見送っていたし、昨日の勝利の後は本気で踊って喜んでいた。ルイヴィトンカップが、アメリカズカップの予選レースとして復活することも現実的なことのように思える。

2月16日 バレンシア

昨日夕方、BMWオラクルレーシングのコンパウンドで、次回第34回アメリカスカップのチャレンジャー代表に決定したヨットクラブが、ラッセル・クーツの口から発表された。

第34回アメリカズカップのチャレンジャーオブレコード(挑戦者代表)は、クルブノティコディローマ。

クルブノティコディローマが送り込むチームはヴィンチェント・オノラト率いるマスカルゾーネラティーノ。
昨日のレポートで書いた予想が当たって、なんとなく嬉しい。

そのBMWオラクルレーシングでの記者発表に続いて、今やアメリカスカップ保有ヨットクラブになった、ゴールデンゲイト・ヨットクラブも、クルブノティコディローマを挑戦者代表として受け入れ、今後2者で話し合いながら第34回アメリカスカップの詳細を決めていくことを発表した。

これでひとまず、ブログは終了です。今回の詳細レポートはKAZIとTarzanに書く予定。是非、お読みください。(おわり。レポート/西村一広 http://www.compass-course.com

アメリカスカップの横で、挑戦者代表について発表するラッセル・クーツ(photo by Kazu Nishimura)

記者会見終了後、クルーたちもカップの回りに集まって来て、記念撮影。ほとんど全員が二日酔いの顔をしていた(photo by Kazu Nishimura)

アメリカズカップ・スペシャル・レポート11

2010年2月15日

 アメリカズカップは〈USA〉の2連勝であっけなく終わったが、西村一広さん(http://www.compass-course.com)の現地からのレポートはもう一回、このブログ宛に届くハズ。

そこで、それを待つ間、スペースの関係で割愛した西村さんの以前のレポートの一部をここでお伝えしたい。2月12日付けレポートの中に以下の興味あるエピソードが含まれていた。

 2月12日 バレンシア

 2月1日にハワイでのホクレアのトレーニング航海が終わり、お昼近くにホノルル空港の国際線ターミナルに入った2月2日、時間つぶしに何気なく本屋さんに入った。

創刊40周年になる米国のセーリング誌が出版した2010年版バイヤーズガイドがあれば買っておこうと思ったからだ。

 運よくそのムックが置いてあるのを見つけたが、ついでに、その隣にあったその出版社の出している雑誌の2月号を手に取り、パラパラとめくった。

その中に、たった2ページ半の扱いだったが、今回のアメリカズカップについての解説記事があった。〈BOR90〉(=〈USA〉)と〈アリンギ5〉の比較表が載っている。 そこには、長さとか幅の比較があり、そして予想セーリング重量の比較があった。

〈BOR90〉25920ポンドに対して〈アリンギ5〉は33790ポンド。んー? 校正ミスではないのかい?

世間では、〈アリンギ5〉のほうが軽い、だから微・軽風は間違いなく〈アリンギ5〉が速いことが、半ば常識のように語られているのだ。それが、この比較表では、圧倒的に〈BOR90〉、つまりBMWオラクルレーシングの挑戦艇〈USA〉のほうが軽い、と書かれているのだ。

立ち読みしている場合ではない、と思い、すぐにレジに向かって購入し、どこか落ち着いて読めるところを探す。この本を手に取る前は、飛行機に乗る前にコナ・ブルワリーの美味しいビール、『ロング・ボード』をちょっと一杯、と思っていたのだが、飲み物はコーヒーにすることにして、じっくりと記事を精読する。

書いているのは、イアン・キャンベル。長くサウザンプトン大学のウォルフソン研究所にいて、アメリカズカップ艇の開発に携わった人で、前回のアメリカズカップではルナロッサに所属していた。このような記事を書くのに相応しい、信用できる人物だ。

 イアン・キャンベルの記事は、面白かった。納得もできた。そして、ソワソワした気持ちになる。

 ぼくが、『アメリカの挑戦艇〈USA〉は、防衛艇〈アリンギ5〉よりも重いはずだと専門家筋は予想している。同じ長さのヨットでは、微風下では軽いほうが速い。それはマルチハルでも同じ。しかし今回のレースは、セールエリアの制限はないので、艇の重さだけで2隻の性能予測はできない。横幅は圧倒的に〈USA〉のほうが広い。マルチハルのデザインでも、横幅はスタビリティーの大きな要素だ。』という原稿を書かせていただいたのは日本のセーリング専門誌『KAZI』である。

 読者に、「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも重い」という先入観を持たせてしまう一文を入れてしまった。手遅れだ。うーん、いつもは美味しいハワイのコナ・コーヒーが不味い。

あの記事を読んだ方がいらっしゃいましたら、ここで、ごめんなさい。「〈USA〉は〈アリンギ5〉よりも軽い」、と断言している『専門家』もいました。

 ついでにもう一つ、マーク回航の方向ですが、これも反時計回りと書いてしまいましたが、間違いです。

予告信号前にコミッティーボートから赤か緑の旗でポート回りかスターボ回りかを指示する、というのが本当です。すみません。