‘レース情報’ カテゴリーのアーカイブ

アメリカズカップ・スペシャル・レポート3

2010年2月9日 火曜日

商業港にあるBMWオラクルレーシングの仮設キャンプで、第33回アメリカズ・カップ挑戦艇〈USA〉のドックアウトを見る。(レポート/西村一広、http://www.compass-course.com

2月8日朝6時。第1レースに向け出艇準備中の挑戦艇〈USA〉(photo by Kazu Nishimura)

 スペイン時間午前6時 

重量を少しでも軽くするために、申し訳ないがレースでは降りて欲しい、とスキッパーに言われてしまったチーム・オーナーのラリー・エリソンだが、元気よくクルー全員をハイタッチで激励して、沖に向かうクルーたちを見送る。

そう、ウイングマストを立てた〈USA〉は、常に風に立てておかなければならないため桟橋には係船できず、桟橋のすぐ沖にアンカリング中。

 それにしても〈USA〉のウイングマストの威容には、度肝を抜かれる。ヨットも、ついにここまで来たか、と思う。 

今日の第33回アメリカスカップ第1レースの予告信号は、午前10時予定。風速15ノット以下、波高1メートル以下でなければレースを行なわないという、防衛者側が一方的に定めたコンディションはジュリーから認められず、レースを行なうか否かの判断は、レース委員長のハロルド・ベネットにすべて委ねられることになった。

 第1レースのレースコースは、往復40マイルの上下一周のコースで行なわれる。一辺20マイルもの広大なレースエリア、45ノットものスピードでマニューバリングする2隻のモンスターヨット……

 第32回アメリカスカップで見事なレース運営を見せたベテランのコース・マーシャルも、「正直なところ、明日一体どんなことが起きるのか、イメージできないで困っている」と言う。スタートから風上マークまで20マイルという距離は、例えば相模湾の東西方向の距離にほぼ匹敵する。

 〈アリンギ〉のコーチを務めるエド・ベアードは、「スタート前にもしサークリングが始まるとしたら、恐らくそれはスタートラインから1マイルか、それ以上離れた場所で起こるだろう」と予想している。

 リーチングで40ノットで走る2隻が、1マイルの距離を走るのに要するには僅か1分30秒。通常のマッチレースのタイミングでサークリングを解いてスタートラインにアプローチを開始するとすれば、必然的にラインから1マイルは離れていなければならなくなるのだ。

 レースは延期

 さて、今現地時間16時。第1レースの結果はいかに!

残念、本日のレースは延期されました。風向が定まらない、との理由だ。

メディアボートは上マークで待機していたが、8ノットから10ノットの、南西のいい風が吹いていた。ところがそこから20マイル離れた沖合いでは、風向が不安定で、風速も弱かったらしい。

 再び、この距離感を相模湾になぞらえてみると、上マークがある初島ではすごくいい風が吹いているのに、スタートラインがある葉山沖の風が弱く、スタートできなかった、ということになる。

20マイルも離れるとVHFも届かず、レース・コミッティーはこれからも大変な苦労をすることになるのだろう。

 因みに、メディアボートは上マークに待機していたが、防衛艇と挑戦艇のどちらの姿もまったく見ることができなかった。よく考えてみれば、いくらマストの高さが60メートルあるヨットだとは言え、葉山にいるそれを初島から見える訳ないですよね。

 興味深い話をひとつ。

本日のレース延期が決まった後、メディアボートに映されている2隻の航跡を示すバーチャル・アイのデータを見ていると、2隻がしばらく走り合わせをしていた。どれほど本気モードの走り合わせかは疑わしいが、挑戦艇の〈USA〉が15ノット強のスピードだったのに対し、防衛艇の〈アリンギ5〉改め〈SUI〉のスピードは常にそれより1ノット近く下回っていた。ま、ただの話題に過ぎませんが……

メディアボートの1隻でレース解説を担当するのは、オリンピック金メダル3つのヨハン・シューマン(photo by Kazu Nishimura)

BMWオラクルレーシングのコンパウンドでは、メディアやスポンサー・ゲストに優雅な朝食が振舞われていた。早朝なのに、シャンパン、ワイン、ビールも並べられていました(photo by Kazu Nishimura)

アメリカズカップ・スペシャル・レポート2

2010年2月8日 月曜日

2月7日午後1時過ぎ、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれた。防衛側のソシエテ・ノティーク・ド・ジュネーブ(スイス。以下SNG)はコイン・トスに負け、挑戦者側のゴールデンゲイト・ヨットクラブ(米。以下GGYC)にエントリーサイドの決定権を奪われてしまった。挑戦者CGYCは、第1レース、スターボードのエントリーを選択した。

さて、8日のレースが始まるまでに、今回の第33回アメリカズカップの情報を整理しておこう。まずは『贈与証書』から。『贈与証書』とはアメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言えるもので、この規定に従ってレースは行われる。(レポート/西村一広)

22年ぶりの贈与証書マッチ 

複数のヨットクラブがアメリカズカップ挑戦に名乗りを上げ、その中で勝ち残ったヨットクラブが、カップを保持しているヨットクラブに挑戦する。これが一般によく知られている近代アメリカズカップの形態だ。

 しかし、実はこれは、アメリカズカップマッチの方法を規定している規則『贈与証書』による、本来のアメリカズカップは異なる。

 条件を満たすヨットクラブが、挑戦を決意して、挑戦艇の主要目を書き込んだ挑戦状をアメリカズカップを保持するヨットクラブに送りつける。挑戦状を受け取った防衛ヨットクラブはその挑戦を受けて立たたねばならず、レースの場所を指定した上で、10カ月以内にレースを行なうべし。このように『贈与証書』は規定している。

 2月8日に開幕する第33回アメリカズカップは、『贈与証書』で認められた挑戦者GCYCがSNGに挑む。この、本来の形態で開催されるアメリカズカップは、1988年以来、22年ぶりのことだ。

 次に、今回のレース方法について説明しよう。 (さらに…)

アメリカズカップ・スペシャル・レポート1

2010年2月7日 日曜日

アメリカズカップがスペイン・バレンシアでいよいよスタートする。JSAFメンバーの西村一広さんが、7日バレンシアに入りし、早速、レース直前の現地の様子を送ってくれた。ブログ版J-SAILINGのグランドオープンを飾るアメリカズカップ・スペシャル・レポート、今後、レースが行われるごとにお送りする予定。ご期待ください!

2月6日夜(スペイン現地時間)

海洋カメラマンの矢部洋一氏とともに、成田からパリ経由でバレンシア入り。夜も更けているが、東京に比べるとずいぶん暖かい。

2月7日朝

アリンギのコンパウンドの隣の建物の中に設営されたメディアセンターに行き、メディア登録と、明日予定されている第33回アメリカズカップ第1レース観戦のために、メディアボート乗艇を予約する。

アリンギのコンパウンドでは、防衛艇〈アリンギ5〉のマストを立て、セールをセットして、出艇の準備が進められている。ファーリングしたマストヘッドジェネカーを揚げるために、船尾に搭載されているエンジンがうなりを上げている。

かたや、BMWオラクルレーシングのコンパウンドに挑戦艇〈USA〉の姿はない。〈USA〉はバレンシアの商業港のほうに仮設で設営されたコンパウンドに係留されており、朝早くドックアウトしてセーリングを始めているという。

今回の、第33回アメリカズカップが、ここ最近一般的だったアメリカズカップのフォーマットと異なり、アメリカズカップ争奪マッチの基本憲章とも言える『贈与証書』に従って行なわれることになった経緯は、月刊『KAZI』誌に数度にわけてレポートしたので、ここでは詳しい説明は割愛させていただく。

かいつまんで説明すると、第33回アメリカズカップは、贈与証書に定められている通り、先に2勝したチームが、アメリカズカップを勝ち取ることになる。レースコースは、これも贈与証書の定めに従って設置される。すなわち、第1レースは一辺20海里の、上下コース。第2レースは、一辺13海里の正三角形のコースで、最初のレグは風上に向かう。もし、第3レースが必要な場合は、第1レースと同様の、全40海里のコース。

本日の午後1時から、スタートのエントリーサイドを決めるコイン・トスが行なわれることになっている。クローズホールドで25ノット、リーチングのレグでは50ノットにも達する2隻の巨大ハイテク・マルチハル艇によるアメリカズカップが、いよいよ現実のものとして実感できるようになってきた。

レポート/西村一広
東京商船大学(現東京海洋大学)出身。プロセーラー、ヨッティングジャーナリスト。コンパスコース社代表として、レース参加、カスタム艇建造コンサルタント、セーリングコーチなど、様々な分野で活躍する。2006年には110ftトライマラン〈ジェロニモ〉のクルーとして太平洋横断世界最短スピード記録を樹立。2007年はハワイの伝統セーリングカヌー〈ホクレア〉の日本国内航海のパイロットも務めた。2月上旬にハワイで〈ホクレア〉のトレーニングに参加したの後、いったん帰国して、すぐにスペイン・バレンシアへ向かった。(レポート/西村一広 東京商船大学(現東京海洋大学)出身。プロセーラー、ヨッティングジャーナリスト。コンパスコース社代表として、レース参加、カスタム艇建造コンサルタント、セーリングコーチなど、様々な分野で活躍する。2006年には110ftトライマラン〈ジェロニモ〉のクルーとして太平洋横断世界最短スピード記録を樹立。2007年はハワイの伝統セーリングカヌー〈ホクレア〉の日本国内航海のパイロットも務めた。2月上旬にハワイで〈ホクレア〉のトレーニングに参加したの後、いったん帰国して、すぐにスペイン・バレンシアへ向かった。( http://www.compass-course.com

第1レースを明日に控え、出艇の準備をする第33回アメリカズカップ防衛艇〈アリンギ5〉。photo by Kazu Nishimura

International14の「今」

2010年1月20日 水曜日
 

年末・年始にオーストラリア・シドニーで開催されたInternational14世界選手権に参加した柳澤康信さんから、現地で見た同クラスの「今」を伝えるレポートをいただきました。詳細は2月下旬発行のJ-SAILING81号に掲載しますが、本ブログではその一部をお届けします。(photo by Yoshihisa Fujii) 

International14の歴史は古く1800年代後半には原型が現れ、1927年に41艇が集まりPrince Of Wales杯を開催、初めてクラスとして公となる。

1950年にはクラス協会が設立され、英国を中心にオーストラリア、カナダ、アメリカ、日本、ニュジーランド、フランス、ドイツに普及し始める。

日本では1971年に初めて進水。以後おおよそ40年にわたりワールドに選手団を派遣してきた。International14のクラスルールは特異で、「より速くあるために常に革新のする」というポリシーの下、ルール規定内であれば艇、セールのデザインは自由。

49erはじめ五輪キャンペーンに参加する者、VOLVOオーシャンでヘルムを取った者、ACボートのデザイナーとして活躍した者などがいる一方、70歳を超えるベテランまでがワールドに参加し、レベルが非常に高いものの、それでいてアットホームなフリートといえるだろう。

一方で、個人が主体のクラスがゆえに苦労も多い。 (さらに…)